デバドの"時の狭間"ブログ

もし わたしが雨だったなら

経験の損(入院実録)

「若いときは、いろんな経験をすることが大切です。」

「苦労したことが後々の財産になります。」

 

 

もうええわ

社会システムにもうこれ以上付いていきたくない

得する気がしない

社会生活が向いていない人だっていっぱいいるのに、人間が人を一元的な物差しでばかり測るから苦しくなっていく。いくら稼いでるとか、正直どうでも良くなってほしい。

 

ギャンブルだけで生活したい……!!

しかし……。

 

まぁそんなことはどうでもいいのです……

なんか、ここまでの書き出しみたいな、社会に反抗する鬱っぽい文章を期待した人、すみません、帰ってください。ここから全く関係ない話をします。

 

経験すること自体はいいことだと思いますが、2度と経験したくないこと、皆さんにもありますよね。

 

僕にとって手術(全身麻酔を伴う)がそれです

 

 

↓今回の記事の内容は以下です。一部下ネタ・不快になるかもしれない描写があるので、気を付けて。

去年の10月の入院実録

2020年7月半ば、左内耳の刺すような強い痛み。冗談抜きで、夜も本当に眠れなかったし、期末レポートもバイトも全然集中できないほどの、痛みだった。

近所のクリニック、大きめの地域病院、それぞれ4回ずつくらい通ったが、病理が確定できず、そして都内の大学病院につなげられ、

めちゃくちゃ経験豊富そうなおじいさん医者が見てくれて、やっとはっきりした。

 

同10月1日、中耳性真珠腫の除去手術を受けることになった。

プラス1週間のインスタント入院。

手術の前日に病室に通されて、いろんな説明を、入院前にも聞いたよと思いながら、聞いた。そんで、後からもらった書類に書いてあったことの半分初耳だった。

手術を翌日に控えたその入院初日の夜は、大好きな霜降り明星のラジオを聞いた。もしも明日の手術が失敗して(ありえないことだけど)右耳も聞こえなくなったら、このラジオももう聞けなくなるのかな、と思った。

 

手術は耳鼻科では朝イチのオペだった。手術台に寝そべると、ブッとい麻酔用の注射針を持つ若い男性麻酔科医の手が、”シャウアプフの円に近づいた直後のノヴさん”くらい震えているのがはっきりと見えた。周りのオペ看との会話の感じからして、相当新人の方みたい。

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ストレスでハゲ散らかすノヴ

針が刺さっていくのがよく見えた。大して痛みは感じなかった。5cmくらい体内に入ったところで一瞬で意識が飛んだ。

 

体感1秒後に「森田さーん、終わりましたよ」の声で意識が戻った。過去イチで目覚めが良くて、とても気持ちがよかった。

親指の爪サイズの濡れた石ころみたいなのを主治医が自慢げに見せつけてきた。「これが左耳の中から取り出した腫瘍です」

手術台ごと病室に移動しているときに、オペ看のベテランっぽい人が麻酔科医に「……で若い患者さんだからよかったけど、高齢の患者さんだとk……」という会話がこぼれ聞こえてきた。高齢だとどうなるのか気になったけど、割と体は疲れているのを感じたので、もう思考することのストレスを課されたくなかった。

エレベーターで病室に運ばれるとき、一気に吐き気が襲ってきて、ドアが開いたところで吐きかけた。運んでくれている主治医の男性が、ビニールの手袋をつけ、受け止める用のポリ袋を用意したけど、患者は結果的に吐くモーションをしただけだったので、それらの備品が無駄になってしまった。

病室のベッドに移されたところで、肺に酸素?を送る用のチューブと酸素マスクを取り外してもらえた。それは自分の身体に刺さっている3,4本の管のうちの一本だった。点滴と尿管カテーテルが入っているのが感じられた。あと丸1日はこのまま、起き上がることも食事することもない、といわれた。ここからが地獄のような1日だった。

 

(ここから地獄注意)

手術が8時ちょうどに始まったと思ったが、病室についたタイミングで11時半だった。

寝返りが打てなかった。打ってもいいということだったけど、横を向いたときに両足の間に挟まる尿管が存在感を増して痛みも伴うので、ずっと仰向いているしかなく、床ずれがひどかった。

エレベーターで1度ゲロのジャブを打っていたこともあり、いつでも吐けるように容器をもらっていたので、そこにベッドについてすぐに1度吐いた。覚えのないオレンジ色の謎の液体のみが出てきた。

寝るしかないのはすぐに理解できた。14時に一度入眠することができたが、17時には目覚めてしまった。18時の夕食の時間に自分の周りでカチャカチャご飯を食べているのが聞こえてきて楽しかった。(音だけ聞いて食事する姿を想像するのが僕の癖…)その思考がもはや邪魔だった。

2度目の入眠は、22時から翌1時頃で、その次に眠れたのは、5時から6時だった。

目が覚めている時間は、思考が止まらなかった。その内容の9割が「2度と全身麻酔を受ける手術はしたくない、将来長年生きさらばえた末にまた全身麻酔を食らうことになるのであれば、適当なタイミングで自殺する」だった。「自殺”してやる”」じゃなくて「”する”」と決定事項みたいな言い方なのが、怖いと思う。

 

(ここから下ネタ注意)

6時で目が覚めたのは起こされたからだった。患者向けに設定される起床時刻は8時なので、周りの患者は寝ていて、僕を起こしたのは担当の若い看護師だった。尿管を抜くとのことだった。起床時間前なせいかウィスパーボイスだった。昼間あったときはしていなかった黒縁メガネが異常に似合っていた。起きたてだからか、動悸がした。これ以上はインターネットに文字として残さない方がいいかもしれない。言えることは一つ。

 

黒縁メガネが似合っていた。

 

 

 

事実だけを言うと、尿管カテーテルを抜いてもらえてそのあと、ちゃんと歩けるかの確認としてトイレまでゆっくり歩いて、地獄の拘束期間が終わった。

 

完全に吐き気が抜けるまで3日かかった。

術後3日目までに大体のできることをやり尽くしてしまった。病室にPCを持ち込めなかったので、鉛筆でいっぱいデッサンした。アンダーテイルの5周年か6周年の記念オケコンがYouTubeで配信していたので、それを見た。

まともな娯楽は、ラノベを1冊持ってきただけだったので、それも1日で終わった。

同室のジジイが看護婦にセクハラ未遂を働いたらしく軽く叱られているのが、カーテン越しに聞こえた。

いつも歯を磨くために洗面所に行くと不思議と会う老人の患者と仲良くなった。

退院時に払うはずの入院の費用支払いをツケにした。

 

 

 

 

 

経験すると、自分の中の蓄積となって、人との会話の種にしたり、何かしらのアウトプットに使えたりするかもしれないけど、さすがに今回の入院は初めてということもあってキツさの方が普通に上回りました(⌒∇⌒)。

もう2度と入院しないように健康をキープしよう